Town of blessing and the devil’s work.











 死んでしまった人に会いたいと思ったことは、ありますか?
 とてもとても大事な人。側にいて欲しい人。
 そういう人にもう一度会いたいと思ったことは、ありますか?
 会いたいのなら、心の中でそっと名前を呼んでください。きっと夢で会うことが出来るでしょう。
 けれど、してはいけないコト。
 いくら会いたくても、名前を呼んでしまわないでください。口に出してしまわないでください。
 呼べば囚われてしまうのです。アクマになってしまうのです。
 だから呼ばないでください。現実に求めないでください。
 私達生者は、死者の分まで生きなければいけないのです。
 生者は死者を留めてはいけません。
 心の中だけに留めておくのです。




 それが、私が教わったこと――――――――。












「せんぱぁい、本当にそんな街があるんですか?」
 私の第一声はこれ。
 一体何度言えば気が済むんだといった様子で先輩――――――――カイト・アラザキが私の方に顔を向ける。
「あのなぁ、アクア。俺たちはその真偽を確かめに『ナーシング』へ向かうんだぞ?」
「そうですけどぉ」
 私――――――――アクア・クリングスは何度目になるか解らない返答を返す。これ以外に返答は考えつかないのだから仕方がないんだけど。
 私と先輩は新聞記者だ。いや、正確には新聞記者の卵とお目付役の新聞記者といった方がいいのかもしれない。多分そっちの方が的を射ている。
 先輩と私は各地の噂話を取材し、記事に纏めるという任務に就いている。正直言って、デマが多い。多すぎて堪らない。
 今回の噂話もデマだと私は確信している。




 曰く、「死者が蘇る街」。




 そんな都合のいい街があったら堪らない。死んだじいちゃんに会えるし、誰も死ななくて済むじゃないか。
 だからデマだ。恐らく、街を復興させるために流されたモノだろう。
「どうだかな」
 先輩が私の考えに難色を示す。
「ナーシングは結構大きな街でな。貿易はそこそこ。山奥の村じゃないんだから、少子高齢化対策として村興し、みたいなことはしないだろう」
 まるで、噂を信じているような言い方。
 先輩はいつもそうだ。聞いた噂話を頭から信じ込み、大した調査もせずに取材に行くから骨折り損の草臥れ儲けになる。
 被害に遭うのは私なのだから、そこに気を遣って欲しい。
「まっ、今回は当たりだろうな」
「その根拠のない自信はどこから来るんですか。自信銀行の定期預金でもしているんですか?」
「なんじゃそりゃ。…………いやな、今回は本当に確かな情報筋から来たんだ」
「確かな情報筋?」
 そんなものが先輩にあるなんて。初耳だ。
 そういうものがあってある程度信じれるのなら、最初っから言って欲しい。
 じろりと先輩を見上げると、なははと先輩が情けなく笑う。
「いやぁ、言うのをすっかり忘れててな。スマンなぁ、忘れやすくて」
「本当ですよ。だからって取材の目的は忘れないでくださいね?」
「ん、解ってるさ」
「本当ですかぁ?」
「ああ、神に誓って」
「…………先輩、無神論者でしょ」
「何故?!」
「軽々しく神に誓ってって言ったところが」
 ぐぅ、と言葉に詰まる先輩を尻目に、私は道のずっと先を見る。
 なんだか、村だか街だかの影がうっすら、本当にうっすらと見える。気がする。
 多分それがナーシングなんだろう。…………ていうか。
「遠っ!」
「俺たちがいた場所が遠かっただけだっての」
 頭を小突かれ、むぅ、と頬を膨らませる。確かにその通りだから言い返せない。でもその元凶に言われると恨みがこう、沸々と。
 密かに後ろからド突いてやろうかしらん等と考えていると、先輩が足を止める。
 それに合わせて私も足を止めて手元を覗き込むと、じっと地図を見つめている。
 ………………………………ここまで来て迷った、なんて言わないでしょうね?
 恐る恐る、と言った調子で顔を見ると、なんとも言えない真面目な顔つき。何かを睨みつけるような、そんな顔。
 こんな先輩の顔は見たことがない。先輩のこんな顔は見たことはないけれど――――――――厳しくも哀しいこんな顔は、生前義父がよくしていた顔だ。
 新聞記事に書いてある原因不明の大量死とか、よく都市にあるような怪奇現象の噂、誰かが死んだ話や知り合いが失踪したという話。それらを聞いたときに決まってするような顔。
「…………せんぱ」
「さぁ行くか。早く行って観光しようぜ」
 声を掛けようとした私を遮り、先輩は明るい声を出す。先刻の顔は、もうしていない。
 やれやれ、と肩を竦めると私は先輩に言ってやる。
「お・仕・事w 忘れてませんよね?」
「お、おぅ」
 冷や汗を垂らしながら先輩は二、三歩後退る。…………絶対忘れてやがったなコイツ。
「行きますよ! お仕事に」
「………………早く終わったら観光な〜」
「早く終われたら、です!」
 私の一言にやる気を出したのか、はたまた逃げる気なのか。先輩は後ろから蹴られたかの如く走り出した。
 観光観光って、目的を忘れるほどそれに執着するなんて馬鹿らしい。私達は新聞記者。使命は『真実を伝えること』。
 その為には、先輩みたいな甘いことは言ってられない。特に、私は見習いなのだから。
 陸上選手のような格好で走る先輩の後を、私は全速力で追いかけた。












 ナーシングは、一言で言えば何処にでもあるそこそこ大きい街、だった。
 先輩の馬鹿走りに付き合わされた(というよりは自主的に付き合ったのだが)私は、さすがに草臥れて街の中心にある広場のベンチにどっかりと腰を下ろす。
「かーっ、体力ねぇな。そんなんじゃ汽車なんてつとまらないぞ?」
「………………………………汽車じゃなくて、記者です」
 疲れた私を更に疲れさせる先輩の一言。突っ込みにだって体力が必要なのだ。
 溜息を吐きながら顔を空へと向ける。青い空の色が、目にしみた。背後の十字架が、ほどよく陽光を遮ってくれた。
 ざわざわとした街独特の喧噪が耳に触る。それがまた心地よい。人と触れ合う事の実感。
「……………………さて、そろそろ仕事すっべ」
 珍しく先輩からそう言って立ち上がった。よほどこの街を観光したいと見える。
「…………そうですね、行きましょうか」
 立ち上がると、私は先輩を見る。もちろん私は仕事の再開に文句を言うつもりはない。言う理由もない。
 体力も回復したことだし、仕事に早速取りかからねば。先輩が乗り気な内に。
 中央広場を横断し、先輩と私は東西に分かれて情報を集めることにした。同じ場所を二人で回るより、効率がいいからだ。
 待ち合わせ場所はこの広場。時間は今から一時間後。
「………………あ〜、アクア? ちっといいか?」
「なんですか、先輩」
 二手に分かれる前、先輩が私を呼び止める。
 真剣な顔をして、じっと私の目を覗き込む。普段のおちゃらけた先輩からは想像が付かない真剣な眼。義父が私に何かを言い聞かせるときにしていたような雰囲気の眼。
「いいか、たとえオレがこの街で死んだとしても。絶対に生き返らせようと思うな。死者は死者のまま。生者は生者のまま。その二つは、交わっちゃいけないんだ。…………それがたとえ神の御業だとしても」
「よく、解らないけれど。…………解りました」
 私はそう答えて曖昧に微笑んだ。それ以外にどんな表情をしろというのだろう。まるで、死地に赴く戦士のような表情で私を見つめる先輩に向かって。
 ふっと先輩の雰囲気が和らぎ、肩を軽く叩かれる。
「んじゃ、頼んだぜ」
 ひらひらと後ろ手に振りながら先輩は背を向けて歩み去っていった。
 私はもちろん知らなかった。まさか、それが先輩の生きている最後の姿になるなんて。最後の言葉になるなんて。
 その時の私には、知る由もなくて。知る手段もなくて。
 ただただ普段通りの先輩の背中を苦笑混じりに見送っていただけだった。












 一時間経ったか経たないか。
 ちょうど、私は別の道に入ろうとしたところだった。視界に中央広場の人集りが映る。
「……………………なんだろ」
 新聞記者ってのは好奇心旺盛じゃないと勤まらない。だから私は進んで人集りを掻き分け、その中心に倒れている一人の男性の姿を見る。
「……! 先輩!」
 先輩が、そこに、倒れていた。
 慌てて近寄り、先輩の状況を確かめる。頭からの出血。どうやら、鈍器で殴られたらしい。脈を取ってみる。――――――――無い。
 完璧に簡単に、先輩は死んでいた。鈍器で殴られた事による出血死か、はたまた頭蓋骨の陥没による圧迫死か。
 どちらにしろ、先輩は死んでいた。助かりようが、無かった。
 すとん、と腰が地面に落ちる。誰か近しい人がいなくなると、虚無が胸に広がって、何も考えられなくなる。何かをしていられなくなる。
「…………お嬢さん。その人が大事なのかい?」
 街の人の一人が声を掛けてくれた。
 ゆるゆると顔を上げ、私はこくりと頷いた。
「だったら今ここで、感情を込めて彼の名前を呼ぶといい。――――――――そうすれば、彼はキミの元に戻ってくる」
 耳元で囁かれる言葉に、私の能が活性化してくる。




 ――――――――先輩が戻ってくる!




 仕事もせずにほっつき歩くような憎たらしい先輩だけど、私にとっては誰より尊敬できる先輩。きっと、先輩じゃなかったらこうやって世界各地を回ろうなんて思えなかった。
 先輩と一緒だったからこうやって、私はここまで来れたんだ。
 そんな先輩がいなくて、私に何が出来ようか。
「………………………………さぁ、呼ぶんだ。キミの大事な人を」
 耳元で囁かれた言葉に私は口を開く。
「かい…………」




“たとえオレがこの街で死んだとしても。絶対に生き返らせようと思うな。死者は死者のまま。生者は生者のまま。その二つは、交わっちゃいけないんだ”




 先輩の言葉が脳裏に蘇った。
 そうだ、先輩と約束したんだった。私は先輩を生き返さない、と。呼び戻したりはしない、と。
「どうしたんだ、さぁ」
「…………すみません。やっぱり、私には出来ません」
 街の人が怪訝そうな顔で私を覗き込む。
「どうしてだい?」
「約束、したんです。……先輩の死を受け入れるって」
 微笑んだ私の目の前で、そうかい、と呟いた街の人が変化していく。
 皮膚が剥がれていくような音を立て、実際その通りに皮膚が剥がれ落ち、不思議な材質で出来た球体が現れる。大砲のような棒をあちらこちらから突き出し、真ん中には顔のようなモノまで張り付いていた。
「ひっ」
 私は短く悲鳴を上げると、腰を抜かしたまま後退った。
 すぐさま背中が何かに当たる。それはもちろん、別の街の人の足だった。だけど、その人も同じように変化していく。
 中央広場の至る所で、その変化は行われた。嫌な音が響く。
 やがて、まともな人間は私一人だけになった。それとも、私がまともではないのだろうか?
「………………………………呼べばよかったのに」
「そうすれば、楽しく過ごせたのに」
 元街の人だったそれが喋る。意思を持っているかのように。
 ジャコッ、と音がして目の前のそれの砲塔が私に向けられる。私の腰はまだ抜けたまま。立ち上がることすら出来ない。
 狙いが私に定められ、黒いような紅いような、そんな砲弾が無慈悲に私へと発射された。
「っ!」
 覚悟を決めて目を瞑る。
 そう、私はここで死ぬのだ。先輩と同じ場所で。違う死に方をして。せめて同じ死に方をしたかったな、なんて頭の隅で冷静に考えた。
 暫く経っても衝撃は来ない。
 恐る恐る目を開けると、砲弾が私の目の前で紅い手に掴まれていた。血で染まったかのような真っ紅な手。
「ふぅ、間に合った」
 その手の主は、まだ若い少年だった。私よりも年下。十代後半ぐらいじゃないかと思う。ただ、髪は老人のように真っ白だった。…………もしかして顔は童顔なだけなのかしらん?
 砲弾を投げ捨てると、少年はそれらに向かって言った。
「あなた達を破壊します」
 それからはあっと言う間だった。
 次々に少年の左手――――いつの間にか白く大きい硬そうな腕に変わっていたけれど――――によって壊されていく。
 それらは逃げ回るけれど、少年は確実に壊して行く。…………それが慈悲であるかのように。
「――――――――――――哀れなアクマに魂の救済を」
 少年はそう呟いてそれらを壊した。












「アクマ――――AKUMAとは、死者の魂と機械を融合した生きる悪性兵器のことです」
 生きる人間が私と少年以外いなくなった街で。
 少年は私の説明を求める声に応じて先ほどの事を説明してくれている。
「僕はそのAKUMAと戦い破壊するエクソシスト――――クラーヂマンです」
「聖職者、ね。…………そっか、アクマね」
 呟いて私は溜息を吐いた。
 正直信じられないけど、事実は事実。目の前で起こったことを信じられないほど馬鹿じゃない。
「…………ここには千年伯爵のAKUMA製造機械のようなモノがあったんですね」
 だから『死者が蘇る街』。
 噂は真実だった。ただし、悲惨な現実を伴っていただけで。
 呼び声に応えて魂を機械が取り込み、アクマとなす。そして、本来なら呼び戻した者の皮を被るのに、何処か壊れていたのか死者の死体に入る。そして、人格を備えて生活していた。
 だから誰も気付かなかった。こんなおかしな事態が起こっていたのに。
「あなたはいいことをしたんです。魂を捕らえなかった。哀しみを、乗り越えた」
 少年が優しく微笑んだ。少しだけ癒されるような感覚がした。
 その後、少年に手伝って貰って土を掘り返し、先輩を埋めた。その横に、空っぽの墓標を――――誰に知られることなく消えていったナーシングの墓標を――――私は作った。
「哀しき運命に、安息を」
 呟き十字を切った私の背後で、少年とアクマの攻防の中で折れてしまった十字架がただ存在していた。












「これからどこへ行くんです?」
「そうね、何処かへ」
 少年との別れ。
 暫く慰めて貰った私は気分を新たに、一人旅に出ることにした。
 一人でも多くの人の魂をアクマに囚われさせないために、私は各地を回ろうと思っていた。別に信じられなくてもいい。真実を語るのが記者の仕事だから。
「道中、お元気で」
「あなたこそ元気でね」
 軽く別れの挨拶を済ますと、私と彼は全く正反対の方向へ歩き出した。
 さぁ、これから本当にどこへ行こうかしら。
 そんなことを考えながら、私は先輩の眠るナーシングを後にした。












 誰もいないナーシングの中、中央広場の土の一角が急に内部から膨れ上がった。
 ずぼ、と突き出てきたのは一本の腕。つづいてもう一本の腕が土の中から突き出てくる。
 平坦な地面に掌を付けると、力を込めて、腕の先に繋がっているモノを引っ張り出そうとする。そしてそれは、確かに土の中から出てきた。
「………………………………げほっ、げほげへごほっ」
 胸部より上が土の上に出たところで、カイト・アラザキは咳き込んだ。唾と共に、口内に入り込んだ土も吐き出す。
「……………………よっくもまぁ、見事に埋めてくれやがりましたよ、アクアのヤロー」
 ブツブツと呟きながら、更に腕に力を加えて身体を引きずり出す。
 全部が土の上に出きった後、身体の関節をコキコキとならしながら、死後硬直で身体が上手く動かねぇ、などと呟く。
 先ほどまで確かに死んでいた男は平然として立ち上がると、軽く伸びをして電話を探す。
 手頃な電話を見つけると、何処かの番号を手慣れた手付きで押して呼び出し音を聞き出した。暫くして、何処かへと繋がる。
「…………あ、コムイ? オレオレ、マントゥールだけど。『カイト・アラザキ』、死んじゃった〜。……………………うん、ナーシングはデマじゃねーけど、AKUMAの仕業だったぜ? まったく、嫌んなるよな〜。イノセンスだと思ったら、ダークマターだったなんて」
 愚痴を言いながら男は受話器の向こうの声に肩を竦める。
「へいへい、んな簡単に見つかっちゃこっちも困るっての。…………そうそう、新人入った? もしかして。……え、入ってない? んじゃオレの知らないエクソシストかな」
 仮死状態に陥っていて、姿や声の細かいところは確認できていない。それでも、男は自分の知っているエクソシストだとは思わなかった。
 通話を切ると、男はそろそろ夕焼けに染まりつつある空を見上げて呟いた。
「………………………………アクア、しっかり生きろよ」
 それは後輩に掛けるカイト・アラザキの最期の言葉であると同時に、彼女の義父としての言葉でもあった。