あと九十八本……「手」
私の友達は電車通学だった。
何故過去形かというと、その友達がもういないからで。
それはきっと彼女の所為だと思う。
けれどそんなこと、誰も信じない。
教室の片隅、花の飾られた花瓶が乗っている、友達の机。
友達の名前は「小俣久子」。つい最近ホームから転落し、電車に轢き殺された。
電車通学で、いつもその路線で登下校をしていた久子はその日、クラスの中で尤も奇妙で尤も普通な彼女と一緒に帰ったそうだ。
彼女は紅いペンダントをいつも身に着けている。彼女の祖母の遺言によるらしい。
その彼女と一緒に帰った日、久子は帰らぬ人になった。
「…………ねぇ」
悔しさと、悲しさと、苛立たしさと、何処にも行き場のない喪失感が私を駆り立てた。
休み時間を狙って彼女に声を掛ける。
「久子……小俣さんと一緒に帰ったのよね?」
「あ、あの日のこと? うん、そうよ」
軽く返してくる。…………苛々する。
何で久子が死んだんだろう。彼女でもいいじゃないか。誰も死ななくてもいいじゃないか。
「何で死んだの?」
「ホームから落ちたから」
そんなことが聞きたいんじゃないの。
あなたがいながらどうして落ちたのよ。
強く問いつめたかった。けれど、周りにはクラスメイト。
「どうして落ちたの?」
「さぁ。…………あ、私のペンダントを拾ってくれようとしてたっけ」
「!」
彼女の。
彼女のペンダントを。
彼女のペンダントを拾おうとして、久子は死んだ。
その話は初めて聞いた。そんな詳しくは教えてくれなかった。ううん、きっと本人は忘れていたんだ。彼女は久子が死んだ場面を忘れようとしたんだ。
…………彼女が拾おうとしていれば、久子は死ななかった。
「そう………………………………教えてくれてありがとう」
なるべく普通に聞こえるように努力した。
今、私は怒っている。
理不尽な世界に、世の中に対して怒っている。彼女に対して怒りを感じている。
彼女を怒るのはお門違いだって解ってる。解ってても、怒りを感じずにはいられなかった。
だからそれを悟られないように笑って、気をつけて言葉を出した。
「ううん、お礼はいらないわ。…………お大事に」
お大事に。
一体何に対しての言葉なのだろう。私の身体は何処も悪くないし、気分が悪いわけでもない。
ううん、気分は悪い。最高に悪い。久子が死んでから情緒不安定だったけど、さらに今日は悪いようだった。
学校が終わり、帰り道。
「ねぇ、あなた」
一人で帰っていると、女性が声を掛けてくる。
なんですか、と短く答えると、女性が嗤った。
「苛々してると自分のためにならないわよ?」
「は?」
おかしな事を言う女性だと思う。確かに私は苛々しているけれど、どうしてそれが私のためにならないというのだろう。
「そういう負の感情は、負の者を呼び寄せやすいのよ」
「宗教の勧誘ならお断りです」
「それならいっそよかったのに」
では違うというのだろうか?
胡乱げに見ると、女性は笑って肩を竦める。癇に障る行動だった。この女性が彼女に似ているのも苛立つ原因の一つかもしれない。
「いいの、解らないなら。忠告はしたからね?」
そう言って去っていく女性の背を見ながら、私は呟く。
「…………忠告って何よ。人の気も知らないで」
こうしてその日は一日、無意味に苛々して終わった。
次の日、遅刻ギリギリに私は学校へ着くと、私はぼーっと一日を過ごそうと思った。
昨日はずっと苛々していたから疲れた。今日は何もする気が起きない。
つい、と目をやった先には彼女がいて。
彼女の蒼いペンダントが、胸元で揺れて――――――――蒼いペンダント?
紅いはずのペンダントが蒼い色に変わっている。
目の錯覚かと思って目を擦っても変わらない。ペンダントは蒼いままだ。
「どうかした? 祐子」
「あ、ううん、なんでも…………」
友達が私の心配をしてくれても、ろくに耳に入ってこなかった。
彼女の色の変わったペンダントに目が釘付けになっている。
どうして色が変わったんだろう。何かの化学変化? それとも同じ形の色違いを持っていて、それを着けてきただけ?
気になるとそれだけしか考えられなくなった。それ以外考えようとしなかった。
だから昼休み、一人でそれを考えられるように校舎裏の空き地に一人足を進めた。
そこは人が殆ど来ない。だから告白とかには絶好の場所なのだ。けれど私の目的はそんなモノじゃあない。ただ単に考え事を邪魔されたくなかっただけ。
考えても答えなんて出るわけがないけれど。
そして考えはペンダントから彼女のこと、彼女のことから久子のこと、久子のことから久子の死のことについてへとどんどん飛躍していった。また苛々してくる。
そんなことをずっと考えていたから、予鈴がなったときは本当にびっくりした。
「え、もうこんな時間!?」
驚いて立ち上がり、私は入口の方へ走り出し――――すぐに転んだ。
「あいたたたた…………」
起きあがろうとして、冷や汗が流れる。
足首に異物感。と言うより、何かに掴まれているような感触。
冷たい何か。死人の肌はこんな感じなのではないかと思うような。そんな生々しい感触。
振り返りたくなかった。振り返ったら終わりのような気がした。
それでも、怖いモノ見たさには勝てなくて――――――――
視線の先には、私の足があった。
私の足首には、白い手があった。
白い手が、私の足首をしっかり掴んでいた。
「ひっ」
短い悲鳴が漏れ、私は必死に地面を掻いた。
少しでも前に進もうと。あの手から逃れようと。だから私は見なかった。だから私は気付かなかった。
私の足首をしっかり掴んでいる白い手が、地面から生えていると言うことに。
「っ、あ」
力強く、足首を後ろに引かれる。手が私を招いている。
「あ、あ゛あ゛あ゛っ」
ずるずると引き摺られていく。もちろん、私も抵抗を試みる。試みてはいるが、力は引っ張られる方が強かった。
怖い。
とてもとても怖い。
怖くて怖くて狂い出しそうなほど。
『そういう負の感情は、負の者を呼び寄せやすいのよ』
唐突に、昨日の女性の言葉が蘇る。
このことだったんだ。あの人が言っていたのは、このことだったんだ。私はちゃんと、忠告されたんだ。
「あ、あああ」
涙がこぼれ落ちる。
こぼれ落ちた涙が地面に消えて――――――――
そして、私も地面に消えた。
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